保科正之公墓所・土津神社に行ってきました

以前「道の駅・ばんだい」のことを書きましたがそのあと会津藩の初代藩主である保科正之公が祀られている土津神社(はにつじんじゃ)に行きました。

以前、この日記を書いたとき、 「天地明察」(冲方丁著)の中で渋川春海の人物を見込んで改歴事業を任せた保科正之という人物をさらに深く知りたいと思うようになりました。

2012年公開が楽しみな映画「天地明察」・ちっぽけなワン
http://fura55.blog38.fc2.com/blog-entry-1010.html


そして、すぐに読んだ本がこれ。とても読みやすい本でした。


保科正之―徳川将軍家を支えた会津藩主 (中公新書)保科正之―徳川将軍家を支えた会津藩主 (中公新書)
(1995/01)
中村 彰彦

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2代将軍秀忠の庶子として生まれながらとても数奇な運命をたどった人だということ。江戸前期の幕政の安定に貢献したひとりであることはもちろん、「会津家訓十五カ条」を定め、幕府・徳川家に対する絶対的な忠誠を義務付け、それにより幕末の会津藩にまで影響を与えたすぐれた名君であったことを改めて知った次第です。その家訓により幕末の会津に大きな悲劇を生んでしまうわけでもありますが。


さて、会津藩だけをみてみると、歴代藩主はいろいろな人物が代わり代わり藩主を務めているのですが、松平家2代保科正経から9代松平容保までの墓所は会津若松市東山町の松平家院内御廟(いんないごびょう)にあります。けれど初代・初代正之の墓所は、遺言により自ら選定した猪苗代湖を望む磐梯山山麓の美祢山に、死去の翌1673年(延宝元年)神式によって造られ葬られ、そして後に土津神社が建立されたとのこと。



土津神社入口。
ちょうど桜が満開で、思いがけず今年初のお花見も出来ました。


当時は神殿・回廊などあったそうですが戊辰戦争の兵火により焼失。
現在の社殿は1880年の造営とのこと。


保科正之公墓所への奥の院参道入口との看板.....


さいしょは森林浴気分、、、が、平坦な道なのにだんだん足が~。
日ごろの運動不足がこういうときに・・・・。



ようやく到着。
真正面に「会津葵」の家紋。


脇に廻ると木の柵で囲まれていて中の様子も見えるのですが
カメラを向けたものの写真を撮ることは控えました。




奥の院から参道を戻り、土津神社入口へ。




正之公の治績を刻んだ高さ7.3mの土津霊神之碑

作者は山崎 闇斎(やまざき あんさい)。江戸前期の儒者・朱子学者です。
天地明察」にも登場し、映画ではを白井 晃さんが山崎 闇斎を演じます。


なんと、下の土台が亀!?
この日、亀石のあちらこちらに桜が舞い降りていて、これもまたこの季節でしか見れないものかも・・・と思うとなぜか笑みがこぼれました。

そして、この亀にはこんな言い伝えがあるそうです。
亀の頭は最初は南の猪苗代湖の方を向いていたそうですが、夜になると猪苗代湖の水を飲みに行ったとのこと。それを心配した者たちが亀の方向を変え、北側の磐梯山(つまり墳丘の方)に亀を向け直すと動かなくなったということだそう。

なぜ亀?
中国の瑞獣(ずいじゅう)・霊獣、吉祥獣と呼ばれるそうで
「龍、鳳凰、麒麟、亀」がそれにあたり、いわゆるめでたい動物ということで書道や絵、彫刻の中でよく見られるんだとか。松平家の繁栄を祈願して・・の意味合いがあるんでしょうね。


いやぁ~歴史って、本当におもしろい。




さて、どうしよう・・・お墓巡りの場所がまた増えてしまいました。(笑)
去年は行けなかった会津の天寧寺にも今年は行かなければ。





○土津神社 (はにつじんじゃ) 
○住所 福島県耶麻郡猪苗代町字見禰山1
○駐車場 あり

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tag : 天地明察 保科正之 おでかけ

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