個人的な陸上のおもいで

細かくいうと、息子が小学3年生のとき、その年の運動会で、クラス対抗のリレーのアンカーに選ばれたことがはじまりでした。「学年で一番速い男子」って称号をもらって、地区代表として地域の運動会なんかにも毎年、呼ばれたりして。そうしているうちに、走る事の楽しさを知った息子は、中学に入り本格的に「走りたい」ってことで、陸上部に所属しました。毎週、日曜日はトラックのある競技場で部活の練習があったので、必然的に親が車で片道30分、送り迎えをするようになって、親として子どもを通じてちょっとだけ、それまで知らなかったそんな世界に足を入れました。陸上部の顧問の先生が県の陸連では、顔の効く人物だったので練習場所には困らずに、息子の通う中学は恵まれていたと思います。その競技場には地区の他の中高も練習に来るので、学校が違えど知り合いも出来、子どもたちは切磋琢磨出来る環境が与えられていました。学校が違っていても短距離、長距離、種目ごとに指導してくれる先生がその場にはいて、学校関係なく交流が出来て。そんな中学校時代を過ごした息子は、そのなかで自分の進みたい高校(=陸上を気持ちよく出来る高校)を選んで、親としては不本意だったけど、息子の「行きたい」を尊重してその高校に入学して、また、中学校以上の本格的に陸上と向き合う日々でした。貧血や怪我に悩まされた3年間でもあったけど。


今年の箱根駅伝は、東洋大の安定した力のもと、2連覇を手にしました。柏原選手の素晴らしい走りには驚きました。少し前の日記にもちょっとだけ書いたけど、とても「楽しそう」に襷を繋いだ姿が印象的でした。途中、顔をゆがめながら力走する場面もあったけど、彼の太もものたくましさが彼の心の現われであるように、力強くどんどん前に進む姿にテレビを見ていて感動しました。だけど、東洋大の優勝は、彼ひとりの力では成し得ることはなかったとも思えます。何より東洋大は総合力が勝っていたと思います。例えば、ゴボウ抜きをした選手がいたとしても、例えば、区間新記録を出した選手がいたとしても、チームには課題が残った大学がありました。例えば、時間制限のために繰り上げスタートになり最後の最後に襷を繋げなかった大学もありました。例えば、予選会をやっとの思いで勝ち残り、ようやく本選に出たと思ったら、来年のシード権を獲得した大学もありました。本当に、駅伝はやってみなければわからない。駅伝に限らないけど、やってみないとわからないってことって他にもたくさんあると思います。だからこそ、「楽しく」ってことに思いが行くんですが・・・・。


高校時代、無名だったといわれる柏原選手を見い出した酒井監督と柏原選手の出会いについての報道を見たり、地元での新聞記事をみて、私は、息子の中学時代を思い出していました。親も子も楽しく過ごせたあのころ。いや、息子は高校に入り思うように結果を残せなかったことのほうが多いので、その心情はどうだったかは分からないけど、でも、仲間との出会いや、普段おこなっていた練習の厳しさに、そして、たまに出すことが出来た成果に、得るものは大きかったはず。私は、私で、親ながら、中学高校と6年間、息子の追っかけをして練習を時々見物し、大会があると必ず見に行き、一喜一憂していたあのころ。陸上はおもしろいです。いや、どんなスポーツもそうだけど選手達のひたむきな頑張る姿に感動を分けてもらえ、自分もがんばろうと思わせてもらえるスポーツ観戦が大好きです。
関連記事
スポンサーサイト

tag : 箱根駅伝

書いてるひと

te_mi

Author:te_mi


「人生、あとどれくらい?」
「さて、さて、どれくらいでしょうね?」

そんなことを思う主婦のブログ



follow us in feedly

☆ ☆ ☆ ☆ ☆
リンク



☆このブログをリンクに追加する

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最近の記事
カテゴリ
月別アーカイブ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ