横綱、大砲萬右衛門

昨年の12月、宮城県白石に行ってきた時のこと。
白石城址跡に寄ってきました。
平成7年(1995)に再建されたという天守閣は白い外壁がお日様の光に照らされてまばゆいです。休日でしたが、人もまばら。あたり一面、静かな佇まいをかもし出していて、とても雰囲気の良い場所でした。この日は時間もなく、ゆっくり出来なかったので暖かくなったら、また、訪ねてみたいと思っています。

益岡城


今ごろ、そのときのこと・・・でもないのですが、昨今の大相撲激震の報道をメディアで見るたび、やりきれない思いを感じていて、ちょっとこの日のことを思い出したので書いておこうと思いました。

大砲萬右衛門さん

写真のひとは、大砲萬右衛門(おおずつ まんえもん) さん。
白石城の隣にある小さい公園のなかに銅像がありました。私は、この日初めて、白石にこんな方がいたということを知り、その後、家に帰ってからネットで調べて分かったことは、

大砲萬右衛門
明治二年 宮城県白石大鷹沢の生まれ。少年時代から大柄・怪力で四斗俵(約60kg)を両手に持ち町まで運んだ怪童として 評判だったそうです。
身長197センチ、体重134キロ。当時としては ずば抜けた見上げるような漢。
力持ち、そして大きなカラダ。自分を生かす道として相撲の世界に入り、それから、精進に精進を重ねて 第18代横綱まで登りつめたそうです。優勝回数は2回。横綱になってからの成績 34勝7敗29の引き分け。

これだけの人物ながら、反面 不器用を絵に描いたような人だったそう。
「引き分け29回」この意味は、、というと、師匠から「横綱とは・・・負けないこと!」と教えられ、引き分けも負けないことであると萬右衛門さんは理解したとか。

対戦相手をガバッ!と受け止めると、その怪力でもって相手を引き付けたら、そのまま 倒したりしないで、土俵上にぴたりとして、引き分けに持ち込んだそうです。

横綱は負けなければ良い。引き分けで良い。そんな横綱も昔はいたんですね。



さて、私の祖父は大相撲が大好きでした。相撲中継がテレビではじまると、テレビの前に陣取り、相撲の取り組みに呼吸を合わせるかのように、気合の入った声を出しながらテレビをみてました。テレビで相撲をやってる期間、私は夕方のアニメも見れなかったけど、そんな祖父の姿は見るのが大好きでした。今の、大相撲の状況、祖父はどんなふうに思うだろうか・・・と考えてしまいます。
それから、仕事の関係で知り合ったのですが、高校を卒業して相撲部屋に入門した若者がいます。相撲が好きで、「強くなりたい」という希望を持って入門した彼は、日々、希望を胸に鍛錬を続けているだろうに・・・・・。
そんな若者は、たくさんいるだろうし、そういう若者たちの夢や希望を断たないで欲しい。大相撲問題が終息し、またテレビで迫力のある取り組みを見れる日が来ることを望んでます。

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